議論とデータ
自分の意見や考えを間違っていると思いながら主張する人はほとんどいません。基本的に自分の考えは正しいと思って話をします。これが自分の主観的な考え、意見など場合、確認する方法がないことがほとんどです。そのため聞く人は単純に「そうなんだ」と思って聞きます。わざわざ確認しないでしょう。一方、確かなデータや理論にもとづいて話をするときもあります。その場合、事実確認をすることができます。誰でも調べられる情報であることがベストです。データに対する意見や考え方は議論が分かれるかもしれませんが、元となるデータや理論は確かに存在します。
推測や予想ではなく客観的なデータにもとづいて話をするのはよいことですが、データに対する意見や考察は個人によって変わってきます。つまり同じデータでも注目すべき点が違うと意見が分かれることがあります。こうなるとデータの重要性や意味が議論から薄れていきます。「何を優先すべきか」という議論になるからです。もともと議論の決め手や判断材料となるはずのデータや理論も、扱う人によっては上手く結論が出せなくなってしまいます。せっかくのデータや理論も無駄にしないで、上手く活用することが必要です。それは知識というよりも知識に基づく知恵や専門的経験になります。
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